何の機材も持たない状態から「いい音」を目指すとして、最初の一点だけお金をかけるなら、どこに投資するのが効率的か。私は何度かこれを考えてきました。
結論から言えば、音の出口——スピーカーやヘッドホンが、いちばん変化を感じやすい場所だと思っています。最終的に電気信号を空気の振動に変えて耳へ届けるのはこの出口で、その性格が音の印象を大きく左右するからです。
もちろん、出口だけで音が完結するわけではありません。それを鳴らすアンプやDAC、信号を送り出すプレーヤーまで、音はチェーン全体で決まります。ただ、限られた予算でどこから手を入れるか迷うなら、まず出口が分かりやすい。この「鳴らしきる」話は、後で詳しく触れます。
専用のリスニングルームや大きなスピーカーを置ける環境がなかった私にとって、その出口として現実的だったのがヘッドホンでした。そして、最初の一台に選んだのが、ゼンハイザーのHD600です。

PCで音楽を聴くようになった頃
iTunesがWindowsでも使えるようになり、音楽をPCに集約して聴くことが簡単になりました。CDを一枚ずつ再生するより、PCに取り込んだライブラリから曲を選ぶ時間が増え、iPodと同期すれば外出先にも同じ環境を持ち出せました。
この頃から、私の音楽再生環境は少しずつPC中心になっていきました。
当初は、特にこだわりもなく、手元にあったヘッドホンをPCに直接つないで聴いていました。ただ、やはり物足りなさや好奇心はあって、「もっと良い音で聴けないか」と考えるようになりました。
なぜHD600を選んだのか
ヘッドホンを探し始めた当時、漠然と「今のリスニング環境の音質を見直したい」と考えていました。とはいえ、まだアンプやDACのことを深く理解していたわけではありません。まず欲しかったのは、PCにつないで音楽を聴くための、しっかりしたヘッドホンでした。
いろいろ調べていく中で目に留まったのが、ゼンハイザーのHD600です。派手な低音で驚かせるタイプではなく、入ってきた音をそのまま返すようなヘッドホンとして語られていること。開放型で自然な音を目指していること。そして、長く売られ続けている定番機であること。このあたりに惹かれました。
当時の私は、細かいスペックを理解して選んだというより、「まずはこの一台を音の基準にしてみたい」という気持ちが強かったと思います。そうして、PCオーディオの最初の本格的なヘッドホンとして、HD600を選びました。
HD600はどんなヘッドホンか
HD600は、ドイツの音響機器メーカー「ゼンハイザー」の開放型ヘッドホンです。1997年に登場し、2020年代になっても作られ続けている息の長いモデルで、派手な味付けはなく、色付けの少ない素直な音として語られることが多いヘッドホンです。
主な特徴は以下のとおりです。
- 開放型
- ダイナミック型ドライバー
- サーカムオーラル型(耳をすっぽり覆う形)
- インピーダンス:300Ω
- 重量:約260g
- イヤーパッド、ヘッドバンドクッション、ケーブルなどを交換可能
スペックの細かい数値は、販売時期や表記元によって違いがあるようです。外観では、青みがかったマーブル模様が特徴的です。今のヘッドホンと比べると少し独特な見た目ですが、いかにもこの時代のゼンハイザーらしい雰囲気があります。
購入して、最初に聴いたときの印象
HD600を購入した当初、私はインピーダンスのことをそこまで気にしていませんでした。とにかく、まずはPCにつないで聴いてみたかったのです。HD600の6.35mm標準プラグを3.5mmに変換するアダプターでPCに直挿しし、アンプやDACを介さずに鳴らしていました。今思えば、かなり素朴な使い方だったと思います。
それでも、私にとっては世界が変わったような体験でした。これまで聴いていた音から、一段上の世界に入ったように感じたことを、今でも覚えています。この時点では、HD600を完全に鳴らしきれていたとは言えなかったと思います。
それでも、音の出口を変えるだけでここまで印象が変わるのか、という驚きがありました。とにかく、音のバランスがとても良かったのです。
今思えば、低音の量感や高音の華やかさだけなら、それ以前に使っていたヘッドホンの方が出ていたのかもしれません。それでもHD600に強く惹かれたのは、量ではなく、音全体のバランスと素直さでした。
装着感
HD600は装着の自由度が高いヘッドホンです。イヤーパッドは適度に動き、イヤーカップを上下にスライドさせて耳がパッドの中央に来る位置に合わせると、装着感も音も安定します。
側圧はしっかりめですが、位置をきちんと合わせれば長時間でも問題ありません。夢中になった映画やドラマを朝まで見続けたこともあります。
300Ωと「鳴らしきる」話
ヘッドホンアンプは当時高価で、失敗したくなかったので、最初はプリメインアンプのヘッドホン端子で聴いていました。それでも不満はなかったのですが、後にヘッドホンアンプを使うと、音量だけでなく、音の余裕や見通しまで変わることに気づきました。このとき、HD600の「300Ω」という数字が、自分の中で意味を持ち始めたのです。
300Ωというインピーダンスは、スマートフォンやノートパソコンに直接つなぐには高めの値です。直挿しでも音量は取れますが、ヘッドホンアンプにつないだときと比べると、余裕や力感が物足りなく感じることがあります。ただし、「アンプがなくてもそこそこ鳴るから、それでいい」というわけではありません。音が出ることと、HD600の良さが出ることは別だと思います。
HD600は極端に癖の強い負荷というより、きちんと電圧を出せる環境でこそ素直に応えてくれるヘッドホンだと感じています。十分な出力を持つヘッドホンアンプにつなぐと、音の見通しや余裕が出て、HD600らしさが分かりやすくなります。使ってみて分かったのは、「音の出口を良くすること」と「その出口をきちんと鳴らすこと」は、別の問題だということです。
まずヘッドホンから入り、そこからアンプやDACへ少しずつ関心が広がっていく。最初の一歩として、HD600はとても分かりやすい一台でした。
HD600の音の印象
HD600の音は、一般的に「ニュートラル」「素直」「色付けが少ない」と言われます。私の印象でも、低音を強く盛って楽しませるタイプではありません。低域は締まりがあり、量で押してくる感じは控えめです。現代の重低音を強調したヘッドホンに慣れていると、最初は少しおとなしく感じるかもしれません。
一方で、中域はとても自然です。ボーカルや楽器の質感が前に出すぎず、引っ込みすぎず、録音の雰囲気を素直に聴かせてくれます。高域も開放型らしく抜けがあり、密閉型のような閉じた感じは少なめです。
迫力で驚かせるというより、音の形を整理して見せてくれるタイプです。だからこそHD600は、「いい音とは何か」を考える基準になりやすいヘッドホンだと思います。
最初に聴いたときも、低音の量や高音の派手さで圧倒されたわけではありません。ただ、当時は比較対象が少なく、低音の量感や艶の出方まで細かく判断できていたわけではありません。その意味では、HD600の真価が分かってきたのは、もう少し後のことだったと思います。
後日、CEC DA53Nをつないで聴いたときには、HD600の印象がさらに良くなりました。音に余裕が出て、より音楽的に感じられたのです。出口であるHD600は変わっていないのに、つなぐ機器でここまで印象が変わる——何をつなげるかは、本当に重要だと実感しました。(このDACについては別の記事で詳しく書いています。)
それでもHD600は、余計なことをせず、入力された音を素直に返してくれる、とても優秀なヘッドホンだと思っています。
HD650へ/長く使って分かったこと
私は現在、HD650を常用しています。HD600もかなり長く使いましたが、最終的に片側が鳴らなくなり、使えなくなってしまいました。おおよそ7年ほどだったと思います。

壊れたあとに分解して確認したところ、片側の導線が切れているように見えました。ただし、断線した時期や原因までは特定できていません。スピーカー代わりに大きめの音で鳴らしていた時期もありますが、それが直接的に故障につながったかどうかは分かりません。
その後、2012年にHD650を中古で手に入れ、今も現役で使っています。HD650はHD600と同じ流れのモデルだけあって、大きな違和感なく移行できました。一般には、HD600の方がより素直で基準寄り、HD650の方が少し温かく聴き疲れしにくい、と言われることが多く、私の実感ともおおむね一致します。
そして、ここからが長く使って分かったことです。HD600もHD650も、肌に触れる部分は消耗品と考えた方がよいでしょう。長く使っていると、イヤーパッドやヘッドバンドクッションは少しずつへたってきます。
純正イヤーパッドはベロア素材ですが、Amazonなどではシープスキンや合皮などの互換品も販売されています。最初に使った布系の互換パッドは皮脂を吸いやすく、汚れが落ちにくいことが難点でした。その後は、手入れのしやすい合皮タイプを使っています。
ただし、互換パッドは厚さや硬さ、密閉性などが純正品と異なり、装着感だけでなく低音や高音のバランスも変わる可能性があります。純正の音を保ちたい場合は純正パッドを選び、互換品は違いを承知したうえで使用した方がよいでしょう。
ヘッドバンドのクッションも擦り減ります。私はここで一度失敗しました。擦り切れているのに気づかず使い続けた結果、下のプラスチックが頭に直接当たるようになり、その部分の塗装を剥がしてしまったのです。クッションは消耗品と考えて、早めに交換するのが正解でした。

イヤーパッドやヘッドバンドクッションなど、消耗した部品を交換しながら使えることは、HD600とHD650の大きな利点です。交換部品や互換品も流通しているため、手入れを続けながら長く使いやすいヘッドホンです。


向いている人と注意点
HD600は、派手な低音や分かりやすい迫力を求める人には、少し物足りなく感じるかもしれません。一方で、次のような人には向いています。
- 自宅など、音漏れを気にせず使える環境がある人
- 音の基準になる、バランスの良い音がほしい人
- 「何も足さない、何も引かない」音を好む人
- PCオーディオの入口として、長く使える一台を選びたい人
- 将来的にDACやヘッドホンアンプも試してみたい人
開放型なので音漏れします。外で使うヘッドホンではなく、静かな部屋で据え置きに近い形で使うのが向いています。裏を返せば、使う場所は自宅などに限られます。その一点を承知のうえで、腰を据えて長く使いたい人にこそ向いた一台です。
次に、低音の量感を重視する人には物足りない可能性があります。低域は出ますが、重低音で押すタイプではありません。
そして、300Ωという仕様上、スマートフォンやノートパソコンへの直挿しだけでは本来の良さを感じにくい場面があります。いずれヘッドホンアンプやDACを組み合わせることを前提に考えておくとよいでしょう。
また、買った瞬間に派手な感動を与えるタイプではありませんが、長く使うほど「基準になる音」としての良さが分かってくるヘッドホンだと思います。
なお、後継のHD650と迷う人もいるかもしれません。録音の状態や音のバランスをありのまま確認したいならHD600、少し落ち着いた雰囲気で長く音楽を楽しみたいならHD650、という選び方が分かりやすいと思います。どちらが上という話ではなく、好みと使い方で変わる違いです。
まとめ:最初の一台にHD600を選んで
HD600は、派手さで売るヘッドホンではありません。素直で、基準になる音を返してくれる一台です。限られた予算を、まず音の出口にかける。これは私の中で、今でも最もコスパの高い方法だと思っています。ただ、HD600は「鳴らしきってこそ」と感じさせるヘッドホンでもありました。
そして、長く付き合えること。消耗する部分は自分で交換でき、共通部品の多いHD600とHD650なら交換部品が流通しており、比較的長く維持しやすい。長く使いやすいこともHD600とHD650の魅力です。
最初の一台として、価格に対して素直な音を聴かせてくれるヘッドホンは、今でも十分に価値があると思っています。
私が最初にHD600を購入したのも、サウンドハウスでした。HD650も取り扱われており、ヘッドホン本体だけでなく、交換用イヤーパッドやケーブル、DAC・ヘッドホンアンプなども探せます。購入先を検討している方は、価格や在庫を確認してみてください。
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