SENNHEISER HD600を購入した当初、私は「これで手軽に良い音が聴けるはず」と考えていました。
もちろん、HD600自体はとても優れたヘッドホンです。ただ、実際に使っていくうちに、PCや一般的な機器のヘッドホン端子にそのまま挿すだけでは、HD600の良さを十分に引き出しにくいのではないかと感じるようになりました。
そこで導入したのが、CECのD/Aコンバーター「DA53N」です。
DA53Nは、D/Aコンバーターとして使えるだけでなく、6.3mm標準ヘッドホン出力も備えた機器です。当時の自分にとっては、ヘッドホン本体よりも高価な約8万円前後の機器で、購入するまでかなり悩みました。
それまで私は、ヘッドホンアンプというジャンルの機器をきちんと購入したことがありませんでした。プリアンプのヘッドホン出力を使って音楽を聴いていたため、「専用のヘッドホンアンプを使うと本当にそこまで変わるのか」という疑問もありました。
それでもDA53Nを導入したのは、HD600をしっかり鳴らしてみたいという気持ちが強かったからです。単に音量を取るためではなく、HD600の持っているという、「自然な音、細かい描写、音場の広がり」といった、それまでは知らない実力をもっと引き出したいと考えていました。
DA53Nを選んだ理由
DA53Nを選んだ理由はいくつかあります。
まず大きかったのは、DACとヘッドホンアンプを一台で兼ねられる点です。PCなどのデジタル出力をDA53Nに入力し、そこから直接ヘッドホンで音楽を聴くことができます。
アンプやスピーカーを別に用意しなくても、PCオーディオ環境をかなり本格的に組める点は、当時の自分にとって非常に魅力的でした。
また、DA53Nは入力端子も豊富です。USB入力のほか、同軸デジタル、光デジタル、AES/EBU入力を備えています。
ただし、USB入力については注意点もあります。USBの規格は1.1で、DA53NのUSB入力は32〜48kHz対応です。CD音源の44.1kHz再生には対応できますが、USB経由で96kHzや192kHzのハイレゾ音源をそのまま入力することはできません。
一方で、同軸デジタル入力やAES/EBU入力では32〜192kHz、光デジタル入力では32〜96kHzに対応しています。そのため、接続方法を工夫すれば、より高いサンプリング周波数の音源にも対応できます。
現在のDACと比べると、USB入力の仕様は古さを感じる部分です。ただ、当時の私が重視していたのは、USB一本でハイレゾ音源を再生することではありませんでした。
最も重視していたのは、HD600をしっかり駆動できるヘッドホンアンプ環境を作ることです。PCの内蔵出力や一般的なヘッドホン端子ではなく、DACとヘッドホンアンプを別体の機器として用意することで、音の土台を整えたいと考えていました。
もうひとつ惹かれたのが、アナログ出力段へのこだわりです。DA53Nは、完全無帰還設計のカレントインジェクション(CI)回路を採用しているとされており、単なるスペック競争とは違う方向で音作りをしている機器という印象がありました。
細かい回路設計の良し悪しを、自分で完全に判断できるわけではありません。それでも、「デジタル処理だけでなく、最終的に音として出てくる部分にも力を入れている機器なのだろう」と感じたことは、DA53Nを選ぶ理由のひとつになりました。
ONKYO DAC-1000Sとの迷い
同じ時期に候補として考えていた機器に、ONKYOのDAC-1000Sがありました。
DAC-1000Sは、USB入力でも高いサンプリング周波数に対応しており、スペック面では非常に魅力的でした。PCからUSB接続でハイレゾ音源を楽しみたい場合には、かなり合理的な選択肢だったと思います。
ただし、DAC-1000Sはヘッドホン出力を持たない、純粋なD/Aコンバーターでした。ヘッドホン中心で使いたかった私の場合、DAC-1000Sを選ぶと、別にヘッドホンアンプを用意する必要があります。その点、DA53NはDACとヘッドホンアンプを一台で兼ねられました。
また、CECというメーカーは当時の自分にとって、そこまで馴染みのある存在ではありませんでした。それでもDA53Nに惹かれたのは、レビューでの評価で「よい」と評価している物は、「違う次元である」と評価しており、内容が印象的だったからです。
単に「音が良い」というだけではなく、かなり強く惚れ込んでいるようなレビューが複数ありました。その熱量を見ているうちに、どうしても自分の環境で試してみたくなりました。
スペックだけを見れば、DAC-1000Sを選ぶ考え方も十分に合理的だったと思います。ただ、当時の私はUSB入力の対応範囲よりも、HD600を本格的に鳴らせるヘッドホン出力と、CEC独自の音作りに強く惹かれていました。
結果として、自分の関心はDA53Nに向いていました。
HD600と組み合わせたときの印象
実際にDA53NへHD600を接続して聴いたときの印象は、かなり強烈でした。
それまで使っていたヘッドホン端子とは違い、HD600が一気に伸び伸びと鳴り出したように感じました。単に音量が取りやすくなった、低音が出るようになった、というだけではありません。
音全体に余裕が出て、細かい音の見通しが良くなりました。ひとつひとつの音が無理なく出てくるようになり、音楽を聴いている時間そのものがかなり楽しくなったのを覚えています。
当時はiTunesで音楽を再生し、DA53NとはUSB接続で使っていました。スペック上、USB入力は32〜48kHz対応なので、現在の感覚では制約があります。それでも、自分の環境では十分すぎるほど良い音に感じました。
特に印象に残っているのは、音に艶がありながら、不自然に強調された感じが少なかったことです。透明感、細かい描写、音の立ち上がりの良さ。そうした部分で、「今まで聴いていたHD600とは違う」と感じる瞬間が何度もありました。
この体験で、ヘッドホンアンプの重要性をかなり強く実感しました。HD600は単体でも優れたヘッドホンだと思います。ただ、DA53Nと組み合わせることで、私の環境では一段上の音になったと感じています。
設定で音の印象が変わる
DA53Nは、設定によって音の印象が変わる機器でもあります。
特に迷ったのが、デジタルフィルターの設定です。DA53Nには、FLATとPULSEという2種類のデジタルフィルターが用意されています。
FLATは、一般的なD/Aコンバーターでよく使われる標準型フィルターです。周波数特性を素直に整え、帯域外の不要な信号をしっかり抑える方向の設定です。
一方のPULSEは、リンギングを抑える方向に最適化されたフィルターです。説明書では、FLATに比べて音場の広がりや音のダイナミック感が増すとされています。私の耳には、リンギングが抑えられるぶん、音の輪郭が滑らかに感じられる場面もありました。
このあたりは、どちらが絶対に正解というものではありません。音源や接続環境、聴く人の好みによって印象が変わる部分だと思います。
さらにDA53Nには、OVS HIGHやUPSといった設定もあります。OVS HIGHでは、入力信号に応じてオーバーサンプリングの倍率が変わります。UPSはサンプルレートコンバーターを使うモードで、入力信号に含まれるジッター、つまり信号の時間的な揺らぎの影響を抑えることを目的とした設定です。
ただし、UPSが常に最良というわけではありません。説明書でも、ジッターを含む入力ソースでは効果的とされていますが、ジッターの少ない入力ソースではSRCをOFFにした方が音質が向上する場合があるとされています。
つまり、DA53Nの設定は、スペック表だけで決めるよりも、実際に聴きながら好みの組み合わせを探していくタイプのものだと思います。
最初は正直、どの設定が正解なのかよく分かりませんでした。ただ、いろいろ試していくうちに、自分の環境では、音の見通しが良く、余計なざらつきを感じにくい方向の設定が好みに合いました。
この設定にたどり着いてから、HD600の良さをより引き出せているように感じました。DA53Nは、ただ接続して終わりの機器ではなく、設定を追い込む楽しさがある機器でした。
鳴らし込みによる変化について
DA53NとHD600の組み合わせは、使い始めてすぐに良さを感じました。ただ、じっくり聴き込んでいくうちに、さらに印象が良くなっていった記憶があります。
これが、いわゆるエージングや鳴らし込みによる変化なのか。それとも、自分の耳が音に慣れていった部分も大きいのか。そこは断定できません。
ただ、長い時間をかけて聴いていく中で、音の硬さが取れ、より自然に音楽へ入り込めるようになった感覚はありました。
特にHD600は、派手な音で一瞬驚かせるタイプのヘッドホンではないと思います。長時間聴き続ける中で、自然さやバランスの良さ、細部の描写がじわじわ分かってくるタイプです。
DA53Nとの組み合わせでは、そのHD600らしい良さがより分かりやすくなったように感じました。
良かった点
DA53Nを使って良かったと感じた点は、まずHD600を余裕を持って鳴らせるように感じたことです。
PCや一般的なヘッドホン端子で聴いていたときよりも、音に余裕があり、細かい音が見えやすくなりました。音量だけではなく、音の密度や立ち上がり、余韻の出方に違いを感じました。
音作りの面では、艶を感じさせながらも、不自然に作り込んだ印象が少ない点も好みでした。派手に音を変えるというより、HD600の良さを引き出してくれるような方向です。
さらに、FLAT/PULSE、OVS HIGH、UPSなどの設定を試せる点も魅力でした。設定によって音の印象が変わるため、自分の好みに合わせて追い込んでいく楽しさがあります。
DACとヘッドホン出力を一台でまかなえる点も、PCオーディオ環境を組むうえでは便利でした。
注意点
一方で、注意点もあります。
まず、USB入力の仕様は現在の基準で見ると古いです。DA53NのUSB入力は32〜48kHz対応なので、USB経由で96kHzや192kHzのハイレゾ音源をそのまま入力する用途には向いていません。PCからUSB一本で幅広いハイレゾ音源を再生したい人には、現代のDACの方が扱いやすいと思います。
また、設定項目が多いため、最初は分かりにくさもあります。デジタルフィルター、OVS、UPSの組み合わせで音の印象が変わるため、機器任せで簡単に使いたい人には少し面倒に感じるかもしれません。
レビューによっては、ヘッドホン出力のホワイトノイズ、つまり無音時や曲間で聞こえる「サーッ」という残留ノイズが気になる、という指摘もあります。
私自身はHD600で使っていて、ホワイトノイズが気になることはありませんでした。音楽を聴いている最中はもちろん、曲間でも不快に感じるようなノイズは特に印象に残っていません。
ただし、この種のノイズは、組み合わせるヘッドホンやイヤホン、聴く音量、接続環境、個体差、そして聴く人の感度によって感じ方が変わる部分だと思います。私の環境では問題になりませんでしたが、ノイズに敏感な方や、感度の高いイヤホン・ヘッドホンで使う予定の方は、可能であれば購入前に確認できると安心です。
さらに、現在では新品での入手は難しく、中古で探すことになる可能性が高い機器です。中古で購入する場合は、ヘッドホン端子や入力端子、ボリュームのガリ、表示部の状態などは確認した方がよいと思います。
DA53Nはどんな人に向いているか
DA53Nは、最新スペックを求める人よりも、CD音源やPCオーディオをじっくり楽しみたい人に向いている機器だと思います。
特に、HD600のようなヘッドホンを使っていて、PC直挿しや簡易的なヘッドホン出力では少し物足りないと感じている人には、専用のDACやヘッドホンアンプを試す価値があります。
一方で、USB接続でハイレゾ音源を中心に楽しみたい人や、バランス接続、DSD対応、最新の測定性能を重視する人には、現代のDACやヘッドホンアンプの方が合っていると思います。
DA53Nは、現代的な万能機というより、音の作り込みやアナログ出力段の魅力を楽しむ機器という印象です。
私にとってのレジェンド構成
HD600とCEC DA53Nの組み合わせは、私にとって非常に思い入れの強い構成です。
現在では、より新しいDACやヘッドホンアンプが数多くあります。ハイレゾ対応やバランス接続、測定性能といった現代的なスペックで見れば、DA53Nより優れた機器も多いでしょう。
それでも、この組み合わせは、ヘッドホンで音楽を聴く楽しさを大きく広げてくれました。単に高価な機器を足したというより、「HD600はこういう音も出せるのか」と気づかせてくれた一台です。
今振り返っても、HD600とDA53Nで聴いた時間は、かなり贅沢な音楽体験だったと思います。
私にとっては、忘れられないレジェンド構成です。
